倭文地区の魅力の一つに、雑木林が多いことがあげられる。
雑木林からの恵みと聞くと、薪やキノコ、山菜を思い浮かべるが、もっとも重要な自然資源は水だろう。
雑木林は水源涵養によい。さらに治山効果も植林とは比べものにならない。
1995年に台風がこの地域を直撃し、津山市の市街地が水没するという大水害があった。
このとき、岡山県北部の植林は、無残にも多くがなぎ倒され、未だに後始末ができていないところもある。
我が家の前にある丘陵の木も、何本か倒された。巨木を倒すほどの風、自然の力を垣間見た気がする。この強烈な風の中、ほとんどの木が倒されずに残っていた。おかげで、木を切るためにかなりの出費になってしまったのだが、山肌がめくれ上がり土砂が崩れてくるよりましだろう。
雑木林は災害にも強いことがわかる。
さて、 家に影が入るからといってただ木を切っただけでは面白くない。
かねてより考えていた方法でキノコ栽培を始めることにした。
2010年3月29日月曜日
雑木林の木を切る
倭文(ひとり)地域の魅力の一つに、里山の景観がある。
周囲を山に囲まれた川沿いに田んぼが広がる。
いたるところに小高い丘陵があり、その向こうに少し高い山が見える。
手前の丘陵と奥の山が見せる景観は、毎日違った美しさがある。
植林全盛期の1950年前後、当然のことながら、村をあげて植林に向うという選択肢もあった。
しかし、当時の人々は、雑木林を残すことを選択した。
当時の詳しい話は聴いたことがない。長老が生きている間に聞いておかなければと思うこのごろである。
僕の祖父は、地域の里山から木を切り出してくる「木挽き」をしていた。早くに他界し、植林の話に加わったかどうか定かではないが、きっと反対していたと思う。
周囲を山に囲まれた川沿いに田んぼが広がる。
いたるところに小高い丘陵があり、その向こうに少し高い山が見える。
手前の丘陵と奥の山が見せる景観は、毎日違った美しさがある。
植林全盛期の1950年前後、当然のことながら、村をあげて植林に向うという選択肢もあった。
しかし、当時の人々は、雑木林を残すことを選択した。
当時の詳しい話は聴いたことがない。長老が生きている間に聞いておかなければと思うこのごろである。
僕の祖父は、地域の里山から木を切り出してくる「木挽き」をしていた。早くに他界し、植林の話に加わったかどうか定かではないが、きっと反対していたと思う。
2010年3月27日土曜日
古代の倭文(ひとり)地域
私の住んでいる地域は、昔、倭文村(ひとりそん)という名だった。
1955年、久米村、大井町と合併し久米町となる。現在は、津山市だ。
倭文という名称がなくなったわけではなく、倭文支所として役所の出張所が残っている。
他には、倭文保育園、倭文診療所など公的な施設に名前が残っているくらいだ。
旧倭文村の現在も残っている地名を挙げていくと、里公文(さとくもん)、里公文上、桑上、桑下、油木上、油木北、油木下、戸脇、福田下、八社(やさ)。
読みにくい地名もあると思う。
1955年、久米村、大井町と合併し久米町となる。現在は、津山市だ。
倭文という名称がなくなったわけではなく、倭文支所として役所の出張所が残っている。
他には、倭文保育園、倭文診療所など公的な施設に名前が残っているくらいだ。
旧倭文村の現在も残っている地名を挙げていくと、里公文(さとくもん)、里公文上、桑上、桑下、油木上、油木北、油木下、戸脇、福田下、八社(やさ)。
読みにくい地名もあると思う。
倭文(ひとり)地域の魅力
私の住む地域を昔は倭文(ひとり)地域といった。
古代の行政区分では、美作国久米郡倭文村である。
自然が豊富な里山で、過ごしやすい地域だと思う。
地域の魅力を語ることは、地域に誇りを持ち文化を育てる上で、とても重要なことだ。
このブログで、わが倭文地域の魅力を、歴史、自然などをテーマに語っていきたい。
地名は歴史を語る。
倭文という地名から、何が推測されるだろうか?
日本古来の繊維のことを、静織、倭文織と書き、しずおりと呼んでいた。
倭文織は、魏志倭人伝にも登場する。邪馬台国、卑弥呼が登場する中国の古代文献だ。
倭文織は、倭から魏への献上品に含まれていた。
その他、様々な古墳や日本最古級のたたら(製鉄所)跡があるなど、古代史のネタが非常に豊富な地域なのだ。
古代から人が住み続けるには、人の営みを育む自然が必要だ。
使い尽くされず循環を続ける自然資源。
僕は今、この地域の自然の営みと人の営みが続いてきた端に立っている。
過去に思いをはせながら、今をしっかりと見ながら、倭文の魅力を語ってみたい。
古代の行政区分では、美作国久米郡倭文村である。
自然が豊富な里山で、過ごしやすい地域だと思う。
地域の魅力を語ることは、地域に誇りを持ち文化を育てる上で、とても重要なことだ。
このブログで、わが倭文地域の魅力を、歴史、自然などをテーマに語っていきたい。
地名は歴史を語る。
倭文という地名から、何が推測されるだろうか?
日本古来の繊維のことを、静織、倭文織と書き、しずおりと呼んでいた。
倭文織は、魏志倭人伝にも登場する。邪馬台国、卑弥呼が登場する中国の古代文献だ。
倭文織は、倭から魏への献上品に含まれていた。
その他、様々な古墳や日本最古級のたたら(製鉄所)跡があるなど、古代史のネタが非常に豊富な地域なのだ。
古代から人が住み続けるには、人の営みを育む自然が必要だ。
使い尽くされず循環を続ける自然資源。
僕は今、この地域の自然の営みと人の営みが続いてきた端に立っている。
過去に思いをはせながら、今をしっかりと見ながら、倭文の魅力を語ってみたい。
2010年3月26日金曜日
3月25日のお昼ご飯
今日のお昼ご飯は、スロー風土ランチを食べた。
前回紹介したように、僕のやっているお店のランチメニューだ。先日緑提灯に☆5つで登録した、地域の旬の食材を使ったランチだ。
今日のメニューは、オムハヤシライス、春雨の中華風サラダ、豆腐とワカメのスープだった。
ランチを調理する当番スタッフは日替わりで、それぞれのメニューを持っている。
オムハヤシライスは、今日の当番スタッフの定番メニュー。ケチャップ味のチキンライスにふんわりさせた卵をのせ、ハヤシルーをかけて食べる。
ハヤシルーの味の決め手は、トマトの水煮。
前回紹介したように、僕のやっているお店のランチメニューだ。先日緑提灯に☆5つで登録した、地域の旬の食材を使ったランチだ。
今日のメニューは、オムハヤシライス、春雨の中華風サラダ、豆腐とワカメのスープだった。
ランチを調理する当番スタッフは日替わりで、それぞれのメニューを持っている。
オムハヤシライスは、今日の当番スタッフの定番メニュー。ケチャップ味のチキンライスにふんわりさせた卵をのせ、ハヤシルーをかけて食べる。
ハヤシルーの味の決め手は、トマトの水煮。
2010年3月24日水曜日
3月24日のお昼ご飯
午後1時半、会社の事務所。
いつものようにPCの前に座っているが、今日は仕事にならない。
昨日の朝から体調がすぐれず、あらかた回復したものの、まだ身体が重く口の中がおかしい状態が続いている。
そのため、食欲がないのだが、「食べないといけないなあ」と今日の「スロー風土ランチ」(うちの店で出しているランチ)を食べることにした。
スタッフに、「食事をお願いします」と声をかけ、しばらく待っていると、今日のメニューがやってきた。
イワシの丸干し、揚げだし豆腐、ポテトサラダ、小松菜のおひたし、味噌汁、雑穀入りご飯、漬物というセットだ。
いつものようにPCの前に座っているが、今日は仕事にならない。
昨日の朝から体調がすぐれず、あらかた回復したものの、まだ身体が重く口の中がおかしい状態が続いている。
そのため、食欲がないのだが、「食べないといけないなあ」と今日の「スロー風土ランチ」(うちの店で出しているランチ)を食べることにした。
スタッフに、「食事をお願いします」と声をかけ、しばらく待っていると、今日のメニューがやってきた。
イワシの丸干し、揚げだし豆腐、ポテトサラダ、小松菜のおひたし、味噌汁、雑穀入りご飯、漬物というセットだ。
2010年3月23日火曜日
3月23日のお昼ご飯
今日の昼は、玄米粥とひじき、そして味噌汁を食べた。
普段は白米(7分づき)派なのだが、先日、岡山県で猛威を振るった黄砂をたくさん吸い込んでいるので、黄砂に含まれる毒性成分を排出したかったためだ。
「玄米を食べたい」と妻が言ったのは一昨日のこと。
普段は白米(7分づき)派なのだが、先日、岡山県で猛威を振るった黄砂をたくさん吸い込んでいるので、黄砂に含まれる毒性成分を排出したかったためだ。
「玄米を食べたい」と妻が言ったのは一昨日のこと。
2010年3月4日木曜日
日本ミツバチと水田
蜜蜂は、田んぼによくやってくる。
特に春。レンゲ、シロツメクサをはじめ、ツユクサ、トキワハゼなど、春になると何かと忙しいようだ。
花から花へ飛び移りせっせと蜜や花粉を集める姿は、一生懸命で、思わず応援したくなる。
よく見てみると、西洋ミツバチもいれば、日本ミツバチもいる。
我が家のあたりでは、10対1くらいで、西洋ミツバチのほうが多いようだ。
西洋ミツバチは、養蜂でしかいないので、どこかに巣箱があるのだろう。
先日、農と自然の研究所から「生き物語り」という本が届いた。
百姓仕事を通じで、生き物をみるまなざしを持って「生物多様性」を表現する方法で、「生物多様性」という骨格に血肉を与えようという取り組みだ。
その中に、ミツバチについての興味深い「語り」があった。
特に春。レンゲ、シロツメクサをはじめ、ツユクサ、トキワハゼなど、春になると何かと忙しいようだ。
花から花へ飛び移りせっせと蜜や花粉を集める姿は、一生懸命で、思わず応援したくなる。
よく見てみると、西洋ミツバチもいれば、日本ミツバチもいる。
我が家のあたりでは、10対1くらいで、西洋ミツバチのほうが多いようだ。
西洋ミツバチは、養蜂でしかいないので、どこかに巣箱があるのだろう。
先日、農と自然の研究所から「生き物語り」という本が届いた。
百姓仕事を通じで、生き物をみるまなざしを持って「生物多様性」を表現する方法で、「生物多様性」という骨格に血肉を与えようという取り組みだ。
その中に、ミツバチについての興味深い「語り」があった。
2010年3月1日月曜日
日本ミツバチ
今年も春がやってくる。
春になると、「今年こそは」と思うことがある。
日本ミツバチの群を捕獲し、自前の巣箱に入れることだ。
毎年、4月から6月にかけて、「分封」という生まれたばかりの女王蜂が群を引き連れて新しい巣(群)を作るセレモニーが行われる。
これは、西洋ミツバチでも起こることで、養蜂の場合、分封が起こると群の数(働き蜂の数)が減るため、蜜を採る効率が悪くなると困る、ということで分封をさせないようにする。
日本ミツバチは野生なので、近くの山に住むハチの分封が来るように、いろいろと工夫するのだ。
春になると、「今年こそは」と思うことがある。
日本ミツバチの群を捕獲し、自前の巣箱に入れることだ。
毎年、4月から6月にかけて、「分封」という生まれたばかりの女王蜂が群を引き連れて新しい巣(群)を作るセレモニーが行われる。
これは、西洋ミツバチでも起こることで、養蜂の場合、分封が起こると群の数(働き蜂の数)が減るため、蜜を採る効率が悪くなると困る、ということで分封をさせないようにする。
日本ミツバチは野生なので、近くの山に住むハチの分封が来るように、いろいろと工夫するのだ。
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